【出雲の国譲り】
「古事記」と「日本書紀」には大国主大神が天照大神に出雲の国をお譲りした話しがあります。
大国主大神は、国土を開拓して、農業・漁業を盛んにして、更には医薬で人々を救ったことから、出雲の国は豊かになりました。
そこに天照大神から出雲の国を譲ってほしいと申し出がありました。
天照大神の使者、建御雷神(たけみかづちのかみ)は、大国主大神に国譲りを迫りましたが、大国主大神の子、建御名方神(たけみなかたのかみ)は反対して、建御雷神と戦いましたが力が及ばず、長野県の諏訪地方まで飛ばされてしまいました。
大国主大神は、巨大な宮を建てれば、そこに住むことを条件に出しました。
天照大神は、天日隅宮(あめのひすみのみや)を建造するとともに、大国主大神の私心がない国譲りに感激して、子供の天穂日命(あめのほひのみこと)を大国主大神に仕えさせることにして、天穂日命の子孫が代々、「出雲国造(いずもこくぞう)」として出雲大社の祭司を行ってきています。
以来、現世は天照大神が治め、神の世界で人々が亡くなった後に霊魂が宿る幽冥(かくりよ)を大国主大神が治めるという役割分担がなされました。